韓国・朝鮮の近現代史 PART1(1868〜1910)
※ (数字)付きの語句には、下部に 注釈 があります。
| 1868(明治元)年 |
明治維新。徳川幕府滅亡。 |
| 73( 〃 6)年 |
日本で「征韓論」(1)がおこる。 |
| 〃 |
高宗李太王の摂政大院君失脚。閔氏政権成立。 |
| 75( 〃 8)年 |
江華島事件(2) |
| 76( 〃 9)年 |
日朝修好条規(3)(江華条約)締結 |
| 80( 〃 13)年 |
漢城(現ソウル)に日本公使館設置 |
| 82( 〃 15)年 |
壬午軍乱(4) |
| 84( 〃 17)年 |
甲申政変(5) |
| 94( 〃 27)年 2月 |
甲午農民戦争(6)が起こる。 |
| 8月 |
日清戦争始まる。 |
| 95( 〃 28)年 4月 |
日清講和条約締結(下関条約) |
| 10月 |
閔妃殺害事件(7) |
| 97( 〃 30)年 |
李氏朝鮮、国号を大韓帝国とする。(高宗李太王が諸外国(日本・清など)朝鮮の実質的独立を図る) |
| 1904( 〃 37) 年 2月 |
日露戦争始まる。 |
| 9月 |
第1次日韓協約(8) |
| 05( 〃 38)年 9月 |
日露講和条約(ポーツマス条約) |
| 〃 |
抗日義兵運動始まる。 |
| 11月 |
第2次日韓協約(9) |
| 06( 〃 39)年 |
韓国統監府設置 |
| 07( 〃 40)年 |
ハーグ密使事件 |
| 〃 |
第3次日韓協約(10) |
| 09( 〃 42)年 |
ハルビンで伊藤博文が安重根により暗殺される。 |
| 10( 〃 43)年 8月 |
日韓併合(11) |
重要語句補足
(1) 福沢諭吉の「脱亜論」(1885年)などにより、「朝鮮は悪友であり、共存はできない」
という言葉からも分かるように、朝鮮はとても頼りないため、日本が守らなければならないという理論である。
この征韓論を唱え始めた人物、賛同した人物として吉田松陰・西郷隆盛が挙げられる。また、西欧諸国に、アジア3国が協力して対抗すべきと主張した人物が勝海舟である。これは、朝鮮を支配しなければならないのは当然だといったような、朝鮮に侵略するために作られた論争である
(2) 日本の軍艦が朝鮮沿岸で軍事演習中に江華島付近で朝鮮軍に砲撃されたとされる事件。
用語集にはこう記述されているが、
実際は朝鮮側がやむを得ず砲撃しなければならない状態を作った日本軍による挑発行為である。
自国の首都近辺で、軍事演習されたら、砲撃すると思う。先に朝鮮が砲撃したことで、
日本は正当防衛とみなし上陸する。そして(3)の条約を結ばせる。
(3) 江華島事件を機に締結。内容は朝鮮の自主独立(名目上、実際は大嘘)。釜山、仁川、元山の開港、日本公使館、領事館の設置、日本人の領事裁判権の承認、日本の商品に関税をかけないこと。など、朝鮮開国と不平等条約の強制。
(4) 漢城での軍隊の軍乱。閔妃派の専横に対して、大院君派の軍が反乱。閔妃派要人や日本人を殺害し、日本大使館を焼き打ち。日清両国共に出兵、清は大院君を捕らえ、閔妃派を援助、朝鮮での権力を強めた。
(5) 朝鮮の開化派が漢城で起こしたクーデタ。清仏戦争での清の敗戦に乗じ、開化派が日本の武力を借りて事大党政権を倒したが、清軍の介入で3日で倒れた。日清両国は天津条約を結んで事態を一応収拾した。
(6) 東学の信徒を中心とした農民反乱。保国安民を目指し、反侵略・反封建を主張し、決起。
東学とは西洋のキリスト教(西教)に対する言葉である。
彼らは祖国の自主独立、民族の自立を図ったのである。これは朝鮮で最初の抵抗運動とされている。
しかし、日本軍の大量虐殺により鎮圧されてしまう。
(7) 朝鮮駐在の日本公使、三浦梧楼の指揮のもと、
国王の妃である閔妃(明成皇后)を寝室で虐殺したという途方もない事件。
当時44歳であった閔妃は政治のうえでも大きな力を持っており、
ロシアに近寄ろうとしていたことから、日本は閔妃が、
いなくなれば全てがうまくいくと考え、虐殺をした。史上まれにみる野蛮な行為である。
(8) 日本人を韓国政府に顧問として送り込んだ。
(9) 韓国が日本の保護国とされ、内政・法令・高級官吏の任免を日本派遣の統監が事実上掌握。別名として「保護条約」、「乙巳条約」がある。
(10) 韓国政府の全てが、日本の統監の指導を受けることに規定された。韓国軍隊を解散させた。
(11) 日本が韓国政府に対して強要した3つの条約によって、
実質上、韓国の植民地化がなされていたが、今度は文書として正式に支配下に置こうとした。
この韓国併合に関する条約を両国間で締結したことによって、日本の朝鮮支配が完全なものとなった。
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